「職場での一番のストレスはなんですか?」

とお聞きすると、多くの人が上司の名前をあげるのではないでしょうか?

いつの時代も上司はストレスの元です。

・責任を部下に押し付ける

 

 

・影でネチネチと悪口を言う

 

 

・上司にはへいこらするのに部下には威圧的に接する

 

 

・無理なノルマや課題を押し付けてくる

 

 

・反抗してくる人間を叩くことに異常な執念を抱く

このような上司があなたの周りにもいるからこそ、このブログを読んでくださっているのだと思いますが、彼らが不当にいじめを仕掛けてくるのはなぜなのでしょう?

それは、あなたの大切な「自尊心」を奪い、屈服させて自分のいいなりにさせたいからです。

この自尊心を奪われると「自分らしい生き方」ができなくなります。

だから、この「自尊心」だけは相手に奪われてはなりません。

今回は、この自尊心を守る大切さと自分らしい生き方をするための秘訣についてお伝えします。

パワハラ加害者におとずれる因果応報の法則

自尊心という言葉は「自ら(を)尊ぶ心」と書きますから、「自身を優れた存在・価値ある存在・意義ある存在であると位置づける気持ち」のことです。

パワハラ上司は、あなたに対して

・怒鳴って恐怖を植え付ける

・ネチネチ裏工作して意欲をそぐ

・論理的に攻めて逃げ道をなくし精神的に追い詰める

などの方法で攻撃し、自尊心を奪い、奴隷のようにしようとしてきます。

自尊心を奪われると、徐々に自信がなくなっていき

・他人と比較して「自分は〇〇できないから」

 

 

・「私はどうせ◯◯だから」

 

 

・「なにかやってもきっと失敗する」

 

 

と考えたり

 

 

褒められても「そんなこと誰でもできる」と素直に喜べなくなります。

こうなってしまうと、マイナス思考に陥り、上司の支配から抜け出せなくなってしまうのです。

だから、自分の「自尊心」が奪われようとするときは、上司の機嫌を損ねたくないからと、相手の要求を簡単に受け入れてはいけません。

ひどい暴言や嫌がらせを受けても、自分の「自尊心」は守らなければならないのです。

いじめはなくならない

脳科学者・中野信子氏も「いじめは本来人間に備わった【機能】による行為ゆえ、なくすことはできない」と著書で書いていますが、昔も今も、いじめに関する事件は起き続けています。

ときには、自殺や事故で亡くなるまで「いじめ」をエスカレートさせていきます。

しかも、加害者は自分が相手を傷つけていることに関心が向かないから、なおさらたちが悪いです。

人間って本当に残酷な生き物だと思います。

わたしも小学校の頃、短期間ではありましたが、いじめを受けました。

容姿のことでからかわれて、傷ついたことをいまだに覚えています。

40年も前のことですが、今でもいじめをしていた人間をぶんなぐってやりたい気持ちになることがあります。

いじめに対する感じ方は人それぞれかもしれませんが、一生忘れられないつらい経験になることだってあるのです。

それなのにいじめる側は、なんとも思っていません。

なぜでしょう?

そもそも人間は生物学的に「相手を倒して生き延びる」というプログラムが組み込まれているそうです。

それが暴走しないように人は社会を発展させて、法律や社会制度をつくってきましたが、それでも根本的にお互いを尊重することは、生物学的には難しいのでしょう。

だから「いじめや不当な攻撃がこの世からなくなることはない」という前提で生きていく必要があります。

「因果応報」の本当の意味

人をいじめる、パワハラする人は、日頃のストレスを上手に発散できないからか、自分の周囲には決して言わないような、ひどい言葉で部下を罵倒することがあります。

本人はそれでスッキリするのかもしれませんが、そうした言動は必ず誰かに聞かれているし、見られています。

結果として、そうした行動は必ず本人に跳ね返ってくるものだと思いませんか?

「因果応報」という言葉がありますが、これは仏教の教えを表す言葉だそうです。

畑で野菜を育てる例で言えば

「人参の種をまいたら、人参が出てきます」

「大根の種をまいたら、大根が出てきます」

人参の種から大根は出てきませんし、大根の種から人参は出てきません。

当たり前だと思うかもしれませんが、これと同じように「原因に応じた結果しか出てこない」とするのが「因果応報」の教えです。

そして、善い行いをすれば「幸福」が現れますし、悪い行いは「不幸」が現れると教えられています。

つまり、自分の行いの結果は、自分に返ってくるということです。

自分が一生懸命勉強すれば、知識が身につき成績が上がりますし、資格が取れたりします。

逆に暴飲暴食して、運動もしなければメタボ体型となり、病気を引き起こします。

これらは、自分の行いが自分に返ってきたわけです。

人をいじめる、罵倒するような行為は、決して善ではありませんよね。

そう考えれば、パワハラ行為をする人にどんな結果が待っているかは明らかです。

そして、善いことも悪いこともすべて自分の行いに応じて現れた結果と考えれば「幸せになるために自分の行動を変えていけばいいのだ」ということが明確になります。

そうすると、これからなにをしていけばいいのかにこころが向くようになります。

また、幸せになるために自分の行動を変えていくことは「自尊心」を守ることにもつながります。

なぜなら、幸せになろうと行動していくことは「自身を価値ある存在」と認めていることになり、同時に自信を回復させるからです。

まとめ

40年前にいじめを受けていたとき、解決に向けて動いてくれたのは担任の先生でした。

先生が具体的にどう動いてくれたのかはわかりませんが、ある時から、からかわれることがなくなりました。その苦しさから解放されたときのことを今でも覚えています。

そんなわたしの子供の頃とは比べられないほど、いまパワハラを受けている人は苦しんでおられると思います。

なんでわたしだけこんな目にあうのか、毎日がイヤになり、なにもやる気が起きないかもしれません。

でも「因果応報」の教えでは、いまなにか善の行動を起こしていけばめぐりめぐって自分にプラスの影響を与えることになります。

その行動は身近でご自身が思いつくことから始めればいいと思うのです。

・相手がしてくれた些細なことでも「ありがとう」を言う
・家族に感謝の気持ちを伝える
・同僚の仕事を手伝う

など、ほんの少しでも行動していけば、きっと道は開けていくと思います。

「因果応報」は悪いことをした報いとして使われることの多い言葉ですが、自分らしい生き方をするための秘訣を教えてくれる言葉でもあります。

この「因果応報の教え」を参考にしてみてください。